親子の縁は切れない?(俊和)

2009年9月1日

愛知県名古屋市で、不幸な事態が発生しました。  常套句のように使用される「しつけのつもり」という言葉…。

家庭裁判所において、よく耳にする言葉として、次のような言葉があり、それを思い出しました。

「夫婦の縁は切れても、親子の縁は切れない。夫婦が離婚しても、子どもにとって父親、母親であることに変わりは無いのだから、子どもを親に会わせるべき。」

離婚後、未成年の子は一方の親と生活をともにしますが(こちらを監護親と呼称します)、生活をともにしていない他方の親(こちらを非監護親と呼称します)と会ったり、メールをやり取りしたりということが取りざたされます。これを”面接交渉”問題といいます。

ここで、問題となるのが、本当に、「子どもを同居していない親に会わせるべき」かという点です。

この点、面接交渉において最も重視すべきは、「子の福祉」つまり「どうするのが子どもの幸せのためによいことなのか」ということですが、

・DV等、何らかの問題がある親については、子自身がその親に会うのが苦痛なことが多い。    (やっと離れられたのに、何で会わなあかんの?)   ・子どもは、親の悪い面ほど学習しやすい=まさに負の連鎖   ・監護親の精神的負担。その影響をもろに受ける子の負担

ということを考えると、「問題がある親に関しては、子どもに会わせるべきではない。」と断言できます。

現に、暴力夫(ここでいう暴力とは、身体的なものに限らず、暴言など精神的なものも含みます。)の生育環境を見てみると、その父親が暴力夫であるケースが多いのです(まさに、”この親にして、この子あり”であり、”結婚するときは相手の親を見てから結婚しろ”です)。  その意味では、暴力夫も不幸な星のもとに産まれた被害者なのですが、だからといって、暴力が正当化される訳ではありません。

確かに、子どもを”無菌状態”で育てるのはほとんど不可能ですし、子自身が問題ある親を”反面教師”として育ってくれるかもしれません。

しかし、それは、言ってしまえば、”子どもがきちんと成長するかどうかが分からない、大きな博打”であり、到底許容できるものではありません。

ところが、裁判所も、問題ある親の当該問題性を見抜けない一部の弁護士(よほど、当該弁護士自身の生育環境が良かったのか、あるいは、「問題ある親が現に実在する」ことについての想像力の欠如が原因でしょうか)も、「親だから、子に会って当たり前」をお題目のように唱えて、面接交渉を行う方向へと持って行きます。

それこそ、「あなた方は、本当に、子の福祉を考えてくれていますか?」と問いたいくらいです。

そして、身体の傷よりも、心の傷の方が、分かりにくいうえに、回復が困難だということが、どうして分からないのでしょう。

引っ越しました・その2(俊和)

2009年8月9日

今回は、イニシャルトークです。

ようやく、自宅でインターネットが使える状態になりました。

約2か月間、自宅でインターネットが使えず、かな~り困りました。

インターネットが使えなかった原因は、要約すると、「ADSLから光ファイバーへ」、「それに伴うプロバイダ乗り換え」です。  加えて、「集合住宅」という要素も絡んでややこしいことに…。

当初は、プロバイダK社をそのままにしてコース変更で対応できる(=転居も楽)かと思っていましたが、N社の光ファイバー設備が入っているから無理と言われ(不安に感じていたことが的中し、脱力…)    ↓  N社の光ファイバーに対応したK社のコースは割高なので、やむなくプロバイダ乗り換え  (個人的には、K社は気に入っていたのですが…)    ↓  プロバイダ乗り換えはスムーズに行えたものの、N社の開設工事に関して、立会日の調整がなかなかつかず、さらに遅延    ↓  やっと開設工事が行われたと喜んだのもつかの間、設置してもらったモデムにルーター機能がついていない(←事前に聞いていないぞ!!いまどき、一家にPC複数台は珍しくないはずなのに…)    ↓  ルーターを手配して、ようやく解決に至る

いやはや、いつもながら、N社には悩まされますが、某若手女優をイメージキャラに使っていても、さすがに今回は許せません!というのが正直なところです。

引っ越しました(俊和)

2009年7月5日

私事ですが、引っ越しました。

旧宅に比べて、リビングが格段に広くなり、キッチンも使いやすく、妻は上機嫌です。

他方、私はというと、

・当初は、引越を機にプラズマテレビの購入を検討していましたが、まさに”引越貧乏”となり、取りやめ(引越という機会を逃したので、当分購入は無しだな)。

・私の自室は旧宅に比べて結構狭くなった(いや、本当に)。

と、手放しでは喜べない状態です(確かに、旧宅に比べて、客観的には良い住まいであることは、認めます)。

現在、私は、狭い部屋をどうやりくりしようか四苦八苦中であり、週末はそのことに忙殺されています。

おまけに、自室パソコンに接続しているディスプレイの調子はおかしいし(こうなったら、完全に映らなくなるまで酷使してやります!)、諸般の事情により、インターネットに接続できない状態が続いているし…。

今般の転居でよ~く分かったことが、男性と女性とで、家に何を求めるかが違うんですね。

男性の子どものころの遊びに、”秘密基地”というものがありますが、男性は要するに自宅の中にも秘密基地が欲しいんですよ。身体は大きくなっても、頭の中は子どものころと変わりません(というより、子どものころに比べればお金が自由になる分、タチが悪いかもしれません)。

これに対して、女性が秘密基地を求めるってあまり聴いたことがありません。

まあ、自室があるだけマシという話もありますし、妻とハナちゃんが毎日楽しそうなのが、何よりです。

トンカツではなくコンカツ(俊和)

2009年4月20日

近頃、新聞でもテレビでも、「婚活」が大々的に取り上げられています。

出会いの場を求めて集団お見合いに参加したり、話し方教室に参加したりと、実際に「婚活」されている方の現状を拝見すると、並々ならぬ努力をされており、いやはや頭が下がる思いです。

結婚している私が言うと角が立つかもしれませんが、婚活されている皆さんが、「結婚相手に望む条件」を口にされますが、???という感じです。

いや、別に高望みしすぎと言いたいのではなく、どうして、「結婚したい相手の条件」ばかり言うのだろうかと思うのです。

正直言って、私は、「結婚相手に望む条件は?」とか、「好みのタイプは?」とか質問されても、すぐに返答できません。逆に、「こういう女性とは結婚したくない」という条件だったら、挙げられます。

ブーイングを覚悟で書きますが、私が結婚相手として避けたい女性は、

・タバコを吸う女性(だから、女性の歩きタバコなんて論外です!)   ・食事の仕方がきれいでない女性(少ないですが、たまにいますよね)   ・私よりも背が高い女性(少ないですが…)   ・目、鼻、口などの顔の各パーツが大きい女性(分かりにくいかな…)   ・首のスジや鎖骨が目立ちすぎる女性(←だから、分かりにくいって!)   ・しゃくれあごの女性(昔から受け付けないんです)   ・料理が苦手な女性(私自身が料理を作れないので、妻には美味しい手料理を作って欲しい)   ・人前で堂々と化粧を直す女性(電車の中でもたまに居ますが、あれはどうなんでしょう)

思いつくものを列記しましたが(ということは、まだあるの?)、裏を返せば「上記の条件を満たさないことが条件です」ということになりますので、質問の仕方が違うだけで、回答としては同じことになるのでしょうか。

まあ、所詮、男なんて単純なもの(だけれどプライドだけは高いから、厄介な生きもの…)ですから、肉じゃがだの、トンカツだの、美味しい手料理を食べさせたらイチコロのような気がします。

法曹人口増加をめぐって思うこと(俊和)

2009年4月18日
4月18日(土)本日の朝日新聞の夕刊に、「弁護士になったけれど」の見出しのもと、法曹増加、競争激化の実態を示す記事が掲載されました。 「年収500万円台以下 3割」 「仕事に満足感 6割」 世間一般から、高収入の職業と考えられている弁護士業の実態が、実のところそうではないのです。 いわゆる「イソ弁(=給料制で法律事務所に勤務する弁護士)」で、個人事件(=当該イソ弁が、事務所を通さずに単独で受任する事件)が全く無いケースだと、1か月の収入は、 500万円÷12≒41万7000円 となり、事務所によって扱いは異なりますが、ここから、所得税、住民税、健康保険料、年金保険料、弁護士会の会費等が控除されると、実際の月収は30万円程度ということになります。 そして、当該イソ弁が処理すべき事件数は、常時、40~80件程度です。 特定の事件1件だけに精力を注ぐ訳にはいきません。 私の先輩弁護士が「弁護士の仕事=大量の皿回し」と表現したことがあります。 要するに、「1つの皿だけを注視していると、他の皿が落ちて割れてしまう。どの皿も落ちて割れないように精力を分散させる必要がある。」という意味です。 言葉を換えれば、「依頼者にとって弁護士は1人だけれど、弁護士にとって依頼者はワン・オブ・ゼム」なのです。 この点、テレビドラマの弁護士は虚像であり、法廷に出ることだけが弁護士の仕事ではありません。依頼者との打ち合わせ、電話応対、書面作成、刑事事件における遠方への接見、自治体や弁護士会における法律相談、弁護士会における委員会活動などなど…。 はっきり言って、午後5時や6時に仕事は終わりません。というよりも、午後6時以降になってようやく、腰を据えて書面作成に取りかかれたりします。多くのイソ弁が、午後10時や午後11時まで働いています。毎日12~15時間労働という事態は決して少なくありません。 では、独立開業した弁護士は、どうでしょうか。 事務所の規模によって異なってきますが、概要は次のとおりです。 ・事務所の1か月分の経費(人件費含む)は、およそ40万円~100万円程度 ・常時抱えている案件数は、やはり40~100件程度 すうすると、仮に、事務所経費が100万円とすると、着手金50万円程度の事件を1か月に3件受任して、やっと自宅に50万円程度を収入として持って帰れることになります。 実際のところ、1か月に3件の新件があるかどうかは分かりませんし、それら新件が全て着手金50万円とは限りません。 分かりやすい例で言うと、破産事件の平均的着手金は31万5000円(消費税込み)ですが、破産事件の依頼者は資力に乏しいので、弁護士費用を捻出できず、日本司法支援センター(通称:法テラス)に弁護士費用の立替を申請することも往々にしてあります。その場合、弁護士に支払われる着手金は、約15万円です。そして、破産事件の受任から終結までは約4~6か月程度かかります。仮に受任から終結まで5か月とすると、1か月分の弁護士費用は、15万円÷5=3万円であり、一般的な住宅ローンよりも格段に安いということになります。 また、月によっては、経費分の収入しかなく、それでも、抱えている40~100件程度の事件を処理するという事態もあります。 たまに、「弁護士費用は高い」、「弁護士は弱者の味方」ということを口にされる方がいらっしゃいますが、私は正直、う~んとうなってしまいます。 まず、「弁護士費用は高い」ですが、時間給にすると決して高くありません。平均的な着手金額50万円で、受任から終結まで1年間とすると、1か月分は約4万2000円です。もし、この4万2000円を高いとお考えの方は、「血のつながりも交友関係も無い第三者が、自分のために動いてくれる」ことの重みを理解されていないように思います。 次に、「弁護士は弱者の味方」という言葉ですが、これは言外に、「資力の無い人間に対しては、弁護士が無償で奉仕するのが当たり前」という考えが見て取れます。 そもそも、無償の奉仕は自発的にするものであって(その意味で、弁護士個人が自発的にいわゆる手弁当で事件処理にあたるのは、いいでしょう)、他人が強制する筋合いのものではありませんが、それはさておき、「相当なサービスにはそれ相応の対価が伴う」というのは、人間社会(少なくとも資本主義社会において)の当然の理(ことわり)ではないでしょうか。 例えば、高度な医療サービスにはそれなりに支出が必要ですし、高級料理店はおいしい食事を提供するかわりに価格設定も高めです。 われわれ弁護士も、サービス業であることに変わりありません。 ところが、サービス業の前に「法的」とつくと途端に、無償で動くのが当たり前という発想が出てくる。 この点は、永遠に考えていかないといけない問題かもしれません。 ここまで頭に浮かんだことをまとまりもなく、書いてきましたが、いつかは書こうと考えていた弁護士の実態と実感です。私にしては、少々きつい物言いになっていますが、少しでもご理解いただければ幸いです。 では、最初に指摘した記事に戻りましょう。 元鳥取県知事の発言が掲載されています。 もともとの発言をどのように編集したかは分かりませんし、元知事の真意も正確に表現されているかどうかは分かりませんが、「地方では司法過疎の地域がまだ多く」「特に若手には積極的に地方に出て、潜在的な需要を掘り起こす姿勢を求めたい。」とのこと。 弁護士登録したばかりの者や経験年数が少ない者が、突然地方に行ったとて、きちんとした仕事ができるとは思えません。それこそ、手術をしたことのない医師に一人で手術をさせるようなものです。安易に、「人手が足りないから回す」かのような発想では、国民への司法サービスの提供どころか、それを阻害することになります。

女性とは?(俊和)

2009年3月18日
つい最近読んだ本に、「女性とは、常に迷っている生きものである。」てなことが書いてありました。 結婚するときには、「本当に、この人と結婚して大丈夫だろうか…」と迷い、 結婚してからは、「この人と結婚して良かったのだろうか…」と迷い、 子どもを妊娠した際には、「この人は妊婦である私を大切にしてくれるだろうか…」と迷い、 子どもを出産してからは、「この人は子育てをしてくれるだろうか…」と迷い…。 そして、子どもも大きくなり、迷い続けて、やっと決断したら、熟年離婚と言われる時期になっていたとか。 女性だからとひとくくりに出来ないことは承知していますが、男性である私は、「ああ、なるほど」とうなずいてしまいました。 それから、その本には、「男性は、なかなか自分の負けを認めたがらない生きものである。」という趣旨のことも書かれていました。 この点も、「ああ、確かに。」と思いました。私の中にも、そういう部分がありますから。なかなか、素直にごめんなさいと言えないんですよね。 もっとも、この本で、私がいちばんうなずいたのは、「女性は過去の『事実』を記憶しているのではなく、その時の『感情』を記憶しているのである。」という趣旨の記載でした。 我々男性は、このことを肝に銘じるべきでしょう。