‘離婚弁護士’ カテゴリーのアーカイブ

愛は傷つけない(智子)

2011年1月25日 火曜日

夫がきついことを言ったりしたりするのは、単なる照れ隠しだ。 愛情の裏返しだ。 心の奥底ではちゃんと愛情を持ってるはずだ。 仕事のストレスがたまってるんだ。 疲れてて余裕がないだけだ。 私が受け止めてあげなきゃ。 本当は私のことを大事に思っているはずだ。 だって優しいときもあるから。 昔は優しかったから。 冷たい人であるわけがない。 本当は優しい人だけど、私には甘えてるんだ。

そういう「解釈」が必要な場面は、もちろんあると思います。 でも、それが結婚生活を通じて、常にそう考えていなきゃいけないとしたら、その「解釈」自体を見直す勇気をもってほしいと思います。

いつも、「きっと~だ」「○○のはずだ」ばかりでは、安心感はありません。 愛情とは、安心感や安全感をもたらすものです。 それをもたらさないものは、愛情とはいいがたいと思います。

『愛は傷つけない』という本があります。

41g76WAx+UL__SS500_ 当事務所の応接室にも置いてあって、ご相談にいらっしゃる方の多くがお待ちになっている間、読んでおられます。子ども向けの絵本や猫の写真集に混じっておいてあるのですが、すぐに目にとまるようです。

そう、ほんとにそのとおり、これに尽きると思う。「愛は傷つけない」のです。 たとえ間違って傷つけることがあっても、すぐに手当てするのです。 それがいつも傷つけてばかり、手当もしてくれない。そこにいるのが辛い。 そうであれば、勇気を持って、その「愛」を疑ってほしい。

とてもいい本です。一歩を踏み出せない方に、ぜひお勧めしたい一冊です。

「欠損家庭」という言葉(智子)

2011年1月19日 水曜日

ずいぶん長いこと、ブログを放置してしまいました。  公私ともにとっても忙しくて、気持ちの余裕がブログにまで至らなくて。

弁護士のサガか、「気楽に」文章を書くということがなんとなくできないというのもあって。  書くなら、「きちんと」書かねば、という意識が強いのです。

でも、ブログはもうちょっと、肩の力を抜いて、「気楽に」書いていけたらな、と思います。  まさに「雑記帳」の名前のとおり

さて、先日、ご相談者の口から飛び出したこの言葉。

「欠損家庭」

いうまでもなく、親のどちらかが「欠けている」家庭のことです。死別、離別、もともとシングルといった理由は問わず、その点では価値中立的とはいえるかもしれません。子どもの非行とか虐待とかを研究するうえでよく使われている言葉だと思います。

それにしても、イヤな言葉です。  でも、「結婚生活が辛い」と思って、離婚を考える方々の悩みを、これほど的確に表現している言葉もないのではないかと、しみじみ感じさせられました。

でもでも。  自信を持って欲しいです。  物理的に「欠損」している家庭ではなく、「機能的欠損家庭」と呼ばれる家庭が問題なのです。  形式的に両親がそろっていても、どちらかまたは両方の「機能」が「欠けている」家庭。

一方が他方に有形無形の暴力を振るう家庭はその一つの典型といえます。  自信を持って、そこから逃げて、そんな「家庭」は壊して欲しい。改めて、そう思いました。

親子の縁は切れない?(俊和)

2009年9月1日 火曜日

愛知県名古屋市で、不幸な事態が発生しました。  常套句のように使用される「しつけのつもり」という言葉…。

家庭裁判所において、よく耳にする言葉として、次のような言葉があり、それを思い出しました。

「夫婦の縁は切れても、親子の縁は切れない。夫婦が離婚しても、子どもにとって父親、母親であることに変わりは無いのだから、子どもを親に会わせるべき。」

離婚後、未成年の子は一方の親と生活をともにしますが(こちらを監護親と呼称します)、生活をともにしていない他方の親(こちらを非監護親と呼称します)と会ったり、メールをやり取りしたりということが取りざたされます。これを”面接交渉”問題といいます。

ここで、問題となるのが、本当に、「子どもを同居していない親に会わせるべき」かという点です。

この点、面接交渉において最も重視すべきは、「子の福祉」つまり「どうするのが子どもの幸せのためによいことなのか」ということですが、

・DV等、何らかの問題がある親については、子自身がその親に会うのが苦痛なことが多い。    (やっと離れられたのに、何で会わなあかんの?)   ・子どもは、親の悪い面ほど学習しやすい=まさに負の連鎖   ・監護親の精神的負担。その影響をもろに受ける子の負担

ということを考えると、「問題がある親に関しては、子どもに会わせるべきではない。」と断言できます。

現に、暴力夫(ここでいう暴力とは、身体的なものに限らず、暴言など精神的なものも含みます。)の生育環境を見てみると、その父親が暴力夫であるケースが多いのです(まさに、”この親にして、この子あり”であり、”結婚するときは相手の親を見てから結婚しろ”です)。  その意味では、暴力夫も不幸な星のもとに産まれた被害者なのですが、だからといって、暴力が正当化される訳ではありません。

確かに、子どもを”無菌状態”で育てるのはほとんど不可能ですし、子自身が問題ある親を”反面教師”として育ってくれるかもしれません。

しかし、それは、言ってしまえば、”子どもがきちんと成長するかどうかが分からない、大きな博打”であり、到底許容できるものではありません。

ところが、裁判所も、問題ある親の当該問題性を見抜けない一部の弁護士(よほど、当該弁護士自身の生育環境が良かったのか、あるいは、「問題ある親が現に実在する」ことについての想像力の欠如が原因でしょうか)も、「親だから、子に会って当たり前」をお題目のように唱えて、面接交渉を行う方向へと持って行きます。

それこそ、「あなた方は、本当に、子の福祉を考えてくれていますか?」と問いたいくらいです。

そして、身体の傷よりも、心の傷の方が、分かりにくいうえに、回復が困難だということが、どうして分からないのでしょう。

トンカツではなくコンカツ(俊和)

2009年4月20日 月曜日

近頃、新聞でもテレビでも、「婚活」が大々的に取り上げられています。

出会いの場を求めて集団お見合いに参加したり、話し方教室に参加したりと、実際に「婚活」されている方の現状を拝見すると、並々ならぬ努力をされており、いやはや頭が下がる思いです。

結婚している私が言うと角が立つかもしれませんが、婚活されている皆さんが、「結婚相手に望む条件」を口にされますが、???という感じです。

いや、別に高望みしすぎと言いたいのではなく、どうして、「結婚したい相手の条件」ばかり言うのだろうかと思うのです。

正直言って、私は、「結婚相手に望む条件は?」とか、「好みのタイプは?」とか質問されても、すぐに返答できません。逆に、「こういう女性とは結婚したくない」という条件だったら、挙げられます。

ブーイングを覚悟で書きますが、私が結婚相手として避けたい女性は、

・タバコを吸う女性(だから、女性の歩きタバコなんて論外です!)   ・食事の仕方がきれいでない女性(少ないですが、たまにいますよね)   ・私よりも背が高い女性(少ないですが…)   ・目、鼻、口などの顔の各パーツが大きい女性(分かりにくいかな…)   ・首のスジや鎖骨が目立ちすぎる女性(←だから、分かりにくいって!)   ・しゃくれあごの女性(昔から受け付けないんです)   ・料理が苦手な女性(私自身が料理を作れないので、妻には美味しい手料理を作って欲しい)   ・人前で堂々と化粧を直す女性(電車の中でもたまに居ますが、あれはどうなんでしょう)

思いつくものを列記しましたが(ということは、まだあるの?)、裏を返せば「上記の条件を満たさないことが条件です」ということになりますので、質問の仕方が違うだけで、回答としては同じことになるのでしょうか。

まあ、所詮、男なんて単純なもの(だけれどプライドだけは高いから、厄介な生きもの…)ですから、肉じゃがだの、トンカツだの、美味しい手料理を食べさせたらイチコロのような気がします。

女性とは?(俊和)

2009年3月18日 水曜日
つい最近読んだ本に、「女性とは、常に迷っている生きものである。」てなことが書いてありました。 結婚するときには、「本当に、この人と結婚して大丈夫だろうか…」と迷い、 結婚してからは、「この人と結婚して良かったのだろうか…」と迷い、 子どもを妊娠した際には、「この人は妊婦である私を大切にしてくれるだろうか…」と迷い、 子どもを出産してからは、「この人は子育てをしてくれるだろうか…」と迷い…。 そして、子どもも大きくなり、迷い続けて、やっと決断したら、熟年離婚と言われる時期になっていたとか。 女性だからとひとくくりに出来ないことは承知していますが、男性である私は、「ああ、なるほど」とうなずいてしまいました。 それから、その本には、「男性は、なかなか自分の負けを認めたがらない生きものである。」という趣旨のことも書かれていました。 この点も、「ああ、確かに。」と思いました。私の中にも、そういう部分がありますから。なかなか、素直にごめんなさいと言えないんですよね。 もっとも、この本で、私がいちばんうなずいたのは、「女性は過去の『事実』を記憶しているのではなく、その時の『感情』を記憶しているのである。」という趣旨の記載でした。 我々男性は、このことを肝に銘じるべきでしょう。